マニュアルにこだわらない剣道形 七
この前、第二道場で、教師八段のK先生が言われた言葉は「合気」であった。木刀にせよ、竹刀にせよ、刃引きにせよ、得物は違えども、練習の道具に過ぎないし、剣道形も練習の一形態である。 一刀流や香取流も竹刀を使わない。しかも竹刀のようなスピードで、撃ち合い寸止めをする。...
View Article見学にお越しください。
多くの子供たちが見学に来て、メンバーになっています。 見学にきて、お友達を見つけましょう。 父兄もぜひ、ごいっしょに練習を・・・ 社会人の方は、生活の中に剣道を取り入れましょう。 生涯スポーツとなります。 リバ剣の方も、見学に来てみると、若き日の思い出が蘇ってきます。 新入学を果たされ方々も、学校に剣道部がなかった場合。私たちと一緒に始めましょう。
View Articleマニュアルにこだわらない剣道形 八
もう一つ重要なこと。気位の在り方も剣道形に本来あって、それを学ぶことによって 竹刀剣道のバタバタ・パンパン感をなくしていく。 結果として品位というものが加わる ことができれば、昇段審査特に高段者の合格要件には肝要であろう。 武蔵が晩年に描いた水墨画に、静かな自然の些事に一点の鋭さ を持つ生が描かれている。 剣道もアートであれば、その極みはすべての芸につながる との武蔵晩年の実践でもある。...
View Articleマニュアルのこだわらない剣道形 九
約束稽古のルールを知り、息の合わせ方がわかった上で、その掛け引きの妙を体得してゆくことが形稽古の目標であれば・・・。 今日の日本剣道形の中で、技の分類やその意図するところが省略されてきた恨みがどうしてもでてくる。...
View Article沈黙を破る
7か月以上沈黙していた私が、ようやく思い腰をあげて、ブログを書き始めようとしています。わずかな時間にいろんな出来事を書き留めておくことは、自分の心の整理にもなるし、次のターゲットを明確にするのに、とても重要です。 また人間不信の深淵から立ち直るためにも、大きな支えになるかもしれない。
View Article太公望について
太公望という言葉は一般に「釣り好きの人」を意味する代名詞として親しまれてきました。でも実際には、周の時代の兵法家(軍師)であり、斉の国を封じられ、その始祖となった人のこと。のちに中国の小説では仙人になったり、神になったりしますが、柳生新陰流の進履橋に出てくる兵法家(仙人)黄石公はその弟子にあたる。
View Article太公望 2
今日も渭水の水は滔々と静かに北東に流れている。赤茶けた水は黄土の豊富な栄養を運んでくる。 呂尚(後の太公望)は若き日の諸国行脚の旅を思い浮かべていた。武者修行、難行を積み、兵法の一流を得た。 しかしながら時を得ず、只河に釣り糸を垂れる毎日であった。...
View Article太公望 3
中国に武術がうまれるのは、やはり邑が都城となり、それが領土を持つ国となり、国同士が抗争する。 そこに戦いのあらゆる科学、さらには天候、暦、医学、舟運、陰陽五行の哲学、易卜が生まれた。 神話伝承の時代、三王五帝があり、黄帝が中国文化の起点として神格化され、すべての学問はその支流を形成する。...
View Article太公望 4
中国における、仙人はすべて深山幽谷に隠遁し、妖術を使うことによって神格化されている。 太公望は水滸伝に現れる英雄のように、衰退する国の市井にあって、国の君子の評判や政(まつり)事、人々の生活や生業が豊かであるかどうか、いわゆる経済が国を強くし、他の都城を吸収することに着目していた。 呂尚は軍師の資質として経営の重要性を一番とする哲学を実践しようとした。 殷の都はもはや疲弊していた。...
View Article太公望 5
殷の国としての名前は商で、もともとは交易が盛んで、東方のアジアから入る物資も豊富であった。商いによって人は生計を立てる。農作物も南のものを北へ、東の商品を西へ、東西のシルクロードの交易の基礎がここにあった。ゆえに今日の商売の語源がこの国に始まる。その国が今は疲弊し、各地の諸侯も天下の変化を望んでいる。禅譲なのか相克なのかは問わない、人心が離れて、政治のことも紂王と妲己の噂も口に出すものもいない。...
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